2018年8月某日
8月中旬の試合だというのに、キックオフは13時だ。
4時半に家を出て、始発電車に駆け込み羽田へ。朝食もそこそこに、新千歳行きの便に乗り込む。到着予定より少し遅れたが、8時半には新千歳空港に到着した。気温は17度と、思っていたよりずっと肌寒い。札幌方面行きのリムジンバス乗り場には、鳥肌を立て、小刻みに震えながらバスを待つ半袖姿の同志も数名見られる。連れは鞄からヤッケを取り出した。
鈍色の空の下、バスは道央道を北に走り、北広島から月寒通へと入った。清田を過ぎてドームにさしかかる頃には、雨足もやや強くなってきた。バスが到着するや、気もそぞろにステップを下り、ドームに隣接する広大なオープンアリーナを横目に、ビジター用通路を急ぐ。そうして9時半過ぎに待機列に到着すると、意外と列は短かった。前日札幌入りしたサポーターはそれほど多くなかったようだ。若干拍子抜けする。あとはじっと立ったまま、10時半の開門を待つ。
いつもなら一時間程度の開門待ちはさほど苦にならないが、8月にしては冷たい雨が、アウェイの洗礼とばかりに容赦なく降りつける。足下から伝わる湿った不快感が、地味にメンタルを削いでくる。いつもは口数の多い連れも、なんだか妙に大人しい。天気予報の「曇り」は端から当てにしていなかったが、本降りの雨はちょっと想定外だった。辺りを見渡すと、さしたる雨具も持たず、雨に打たれながらぽつねんと佇むサポーターの姿も見られる。ふと、敗戦後のような寂寥感を覚えた。試合はこれからだというのに。
目の前のメタリックな巨大構造物は平然と雨粒を弾いている。向こうの白樺並木はしんとして濡れている。ようやく開門時間を迎え、青赤を纏うそぼ濡れた人々が、そわそわしながらドームに入ってゆく。
はたしてドーム内は快適だ。昨シーズンの札幌はまだ雪の残る季節で、待機列では寒さに凍えたが、中は適度に空調が管理されていて、あまりの心地よさについキックオフまで眠りこけてしまった記憶がある。北海道の気候特性もあるが、夏場でもデーゲーム開催が可能なスタジアムはここだけだ。
その一方で、スタンドから場内をぐるりと見渡すと、他のサッカースタジアムにはない奇妙なアンバランスさを感じる。これは、野球専用スタジアムにそのままサッカーグラウンドを嵌めたがゆえの違和感なのだろう。地面から不自然に一段せり上がったピッチの様も、どこか巨大なリングのように見えなくもない。この眺めに慣れていない自分にとって、ここは、これほど快適なのにも関わらず、そこはかとない不安を喚起させるスタジアムなのだ。
場外のフードコートには北海道ならではの垂涎ものが溢れていた。しかし最初に堪能した「厚切り豚丼」が、他を寄せつけないキープ力を発揮し、その後も胃の中で時間を費やし続けた。
昼過ぎには雨も止み、ところどころに青空が顔を覗かせていた。わずかに湿り気の残る緩い風も、ひんやりとして心地好い。中に戻るのが、少しもったいない気もした。
試合は立ち上がりからアウェイチームが主導権を握り、直近の2連敗を感じさせないアクティブな動きで相手を翻弄した。青赤が誇る韋駄天の突破から屈強ブラジレーニョによる先制ゴール、前半終了間際にはコーナーキックにキャプテンが頭で合わせ2点目と、理想的な展開で試合をぐいぐい進めた。ここ2試合はゴールが遠かったが、今日は既に前半で2得点。今日こそ大丈夫だろう。ハーフタイム中、ビジター側のスタンドにはそんな安堵感が漂っていた。その時、ふと、靄のようなものが脳裏を過ったが、とりあえず気にしないことにした。
迎えた後半。ホームチームは一人変えてきた。何やら14番の位置も変だ。そして試合の趨勢は一変する。53分、札幌一の男前によるヘッダーを皮切りに、68分、後半から出場の19番がバイタルエリアを切り裂き2点目を叩き込む。そしてそのわずか4分後、元イングランド代表が落としたボールを現タイ代表がエリア外から豪快にズドン。ボールはゴールポスト内側を擦って、ネットを激しく揺らした。歓喜を爆発させる赤黒のスタンド。場内はカタルシスに溢れた。こちらの一画を除いては。
首都チームはロシアW杯中断前までの強固な組織が嘘のような崩壊っぷりで、これでついに三連敗。しかし悲しいかな、ああ前にもこんなことあったよねと、悔しくもどこか懐旧の情に駆られてしまうのが、青赤サポーターの宿痾。靄の正体はこれだったのだ。
宿にチェックインし、荷物と失望感をいったん部屋に捨て置いて、すすきのにあるジンギスカンの名店へと向かった。ジューシーで臭みのないマトンもさることながら、肉汁の旨味を纏った玉ねぎの美味さといったら! 連れはもう二皿所望した。羊肉は苦手じゃなかったっけ?
芳しい煙がもうもうと漂う中、時折跳ねてくる灼熱の油沫におののきながら、ひたすら鉄鍋の上の佳味に専心した。
店を出ると、すすきのはまだ灯点し頃だった。ふいに、今日の記憶がぽつぽつと甦ってきた。徐々に艶めいていく通りをよそに、僕らはさっさと宿へ足を向けた。